「神を誰が創ったのか」という問いの誤謬
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「神を誰が創ったのか」という問いの誤謬
四柱推命
販売商品 (1)
ロン
Lóng 先生
テレビでよく見かける著名な弁護士が「キリスト教では、神が宇宙を創ったというけれど、その神は誰が創ったのか」という問いを投げかけた。
この問いは一見鋭く見えて、実は論理的に誤っている。なぜなら、宇宙の第一原因とされる神は、宇宙の生成に先立って存在していたと考えられるからである。
宇宙の誕生とともに時間と空間が成立した以上、私たちが理解する「以前」や「後」という時間概念を宇宙の外に適用することはできない。すなわち、「宇宙以前」という表現は時間的に意味を持たず、私たちの時間的思考を超える領域となる。したがって「神を誰が創ったのか」という問いは、時間の流れの中で成り立つ因果律を神に当てはめてしまう誤謬である。
神は時間や空間の枠を超越する存在であり、因果律によって規定される被造物とは異なる。因果の連鎖の外にあり、自ら存在する自己存在者であるからこそ、全ての存在の根源となり得る。この観点から、神は宇宙に依存せず、むしろ宇宙そのものを成立させる第一原因として哲学的に位置づけられる。
つまり、「神は誰が創ったのか」という疑問は、人間の有限な思考枠組みである時間的因果に縛られた問いであり、神を正しく理解するためには、その超越的性質を踏まえる必要がある。
旧約聖書『出エジプト記』で、神がモーセに「私はあってある者」と語る場面がある。この一言は、まさに神の本質を端的に表しており、的を射た表現であると言わざるを得ない。
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